yukiの打ハハ日記

浜松市在住 打楽器奏者 パーカッションアーティスト@中村友紀のブログ

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20160519090529 打楽器はじめの12ヶ月

アンサンブルコンテスト全国大会2024.おわ

無事に終わりましたよ。

色々ありすぎて!

 

改めて書き直しますーー!

 

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前々日の雄踏文化ホール


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渋川市民会館小ホールにて


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鳥のカツ弁当

こっから鳥弁が続くのでした。

 


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ホール練習の場所で

何度も鳥飯を食べました。

そうね、一生分は?笑

しばらく鳥飯は、いいです。

 


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演奏終了後のメンバーと

顧問の松下先生。

トラック搬入口にて


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ホール練習

隣の大ホールで

武岡中が練習してました

ちゃっかり見学🩷

生徒はあまりのうまさにビビって

話しかけられず笑

小心者の5人です💦

 


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審査発表前の

バスの中でライブ配信を観る…

この時間、やだ。


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ドキドキタイムの結果

銀賞🥈とわかりました。

よくやりましたよ、子供達の熱意のすごさ!

浜松学芸高校音楽館 さよならコンサート

浜松学芸高校芸術科音楽コースは

校舎新規建設が終わり

来年度からは新校舎になります。

それに伴い今使用している

音楽館が取り壊されるため

3/16.に、さよならコンサートが催されました。

 

テノール歌手@水船桂太郎さんの声掛けで

第一線で活躍する数名の歌手が揃いました。

全員学芸高校の卒業生。

伴奏ピアニストの御邊典一(おんべのりかず)さんも。

 

皆さん東京の第一線で活躍している

歌手ですので技量はもちろん

音楽性も申し分ない方ばかりでした。

水船さんが置かれている

周りの環境の素晴らしさを

物語っているようでした。

 

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彼は主人加藤幸太郎の大親友。

幸太郎の妻は俺の妻だ!と言われ

面白い人だなーと思いました。

 

最初に会ったのは

私と主人が付き合っている頃

桂太郎さんがイタリアから帰国した時でした。

 

桂太郎さんの浜松の家がなくなっていたので

浜松で仕事がある時は

我が家を使っていました。

新婚時代1ヶ月ほど一緒に暮らしたのです笑

私としては大変楽しかったし便利で

いなくなってから困るほどでした笑

 

桂太郎さんはコンサートで

十八番のオペラを歌いました。

プッチーニ作曲のトゥーランドットより

誰も寝てはならぬ

以前聴いた時よりレベルアップしていて

びっくりしました。

題名のない音楽会にも

ご出演経験がある方です。

 

 


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最後に観覧に来ていた在校生卒業生も一緒に

定期演奏会でいつも披露する

「ともだちはいいな」をアンコールに歌いました。

 

来年度で信愛音楽科成立60周年?を迎えるのだとか?

 

ちなみに主人の母校で

主人は17回生だそうです。

 

私が自分の母校の何回生卒業か知らないのに

主人の学校は、何回生卒業かという話によくなるので

私の方が信愛音楽科の卒業何回生か詳しかったりします💦

私が音楽科の教員になったのも

主人から繋がった縁です。

主人の周りの人たちは

私を快く迎えてくださり、いつも応援してくださいます。

 

私の祖母

私は高齢の方と、動物に

好かれる性格のようで

小さい頃祖父母に溺愛されていました。

祖父母の近所の

おじいちゃんおばあちゃんからも

可愛がられてアイドル的人気者でした。笑

 

何でもやりたがる好奇心旺盛なところが

可愛くもあり

危なっかしかったりしたからでしょうか。

 

ジジババの話もとても興味深かった。

 

聞き耳を立てて、よく話を聞いていました。

 

耳年増、だったと思います。

 

 

最近母方の祖母のことを

思い出すことが多くなりました。

13年ほど前に他界しました。

 

祖母は幼い頃に

父親を戦争で亡くしました。

昔はそういう家庭が

普通に存在していたはずです。

その後祖母の母親は再婚しました。

実父と継父は同じ苗字

そして、嫁ぎ先も同じ苗字。。。

(曽祖母が役場で印鑑を忘れたといって

 たまたまその役場の職員に

 同じ苗字の人から印鑑を借りた縁で

 結婚したそうです。)

(再婚した継父も、その後

戦争で亡くなりました。)

 

2回苗字が変わるチャンス?があったのに

またそんなにある苗字でもないのに

同じというレアな運命でした。

住まいをあちこち転々としたり

親が変わったりしたのですが

祖母にとってそれは

ネガティブな思い出ではないようでした。

性格も強く、芯がありまくる祖母でしたので

そんな小さなこと(!)には

気にも留めなかった!のかも笑

人に悩みを打ち明けるとか

そういうヘニョヘニョしたところが

ない人でした。

簡単にいうと、たぶん

可愛くない(大女だった見た目も含めて)

 

 

村一番の才女だった祖母は

見付女学校へ通いました。

 

その後どうしたのか知りませんが

結婚して三人子どもを産んで

孫として私と妹が生まれました。

 

大正生まれなのに身長が160cmを超す大女。

 

運動が得意で背面跳びの選手だったとか。

 

勉強もできて運動もできる

文武両道の女性だったとね。

私にそれが何故遺伝されなかったのでしょうか〜

 

言葉遣いも大変丁寧で

良いところのお嬢様(風)な雰囲気を

醸し出していました。

 

電話に出る時は

「はい!イソベでございます!」

「左様ですか。」

※サザエさんも、電話に出るとき

 サザエでございますって言いますね笑

 

私にも、もちろん敬語でした。

 

家では農業の手伝いをしていたと思います。

昔はみんなそうでした。

 

私が幼稚園へ通ってる頃に

大病を患いました。

入退院を繰り返し

それが落ち着いたのは

私が小学校高学年になった頃でした。

 

腕には点滴の傷跡がびっしり。

腕全部を埋め尽くすほど

ケロイドになってました。

 

大きくて鬼瓦みたいな風貌が

退院してきた頃には

ヨレヨレの、かが抜けた炭酸飲料みたいな

おばあちゃんになりました。

千と千尋に出てくる

荒地の魔女の魔法が解けた時みたいな?

 

1日中椅子に座ってテレビを観てました。

 

お勉強が出来たらしい祖母は

息子たちには勉強を強要したようですが

母にはそれがなく

孫の私なんぞは

息をしてれば良いぐらいな

関心のなさ?でした笑

 

「ゆき、元気ですか?」

 

とは聞くけど

勉強はどうですか?

なんて、一言も言われたことがない笑

 

たぶん大してできないと

期待してなかったのだろうと思われます。

 

丁寧な言葉で喋りますが

わがままでマイペースで強情な人なので

時々変なことになります。

 

訪問してくださったお客様に

「◯◯さん、お茶いりませんよね?」

と言ったりする。

 

そのお客様は

どこか旅行へ行ったからと

手土産を携えてるのにもかかわらず💦

 

おいおい!と慌てて

その場に居合わせた叔母と私で

お茶を淹れた記憶があります。

 

そんなに周りでアタアタしてても

祖母はニコニコとテレビを観ていました。

ボケていた、のかもね〜笑

 

しかしまぁ、それでも

祖母は悪びれる様子もなく

いつでも王女さまのようでした。

 

孫の私でもドン引くほどの

マイペースぶり。

私が引いていても、祖母はニコニコしてました。

 

大正琴を習っていました。

「近所の人とはやりません

   私1人で演奏します」

といって

村祭りで1人演奏してましたが。

 

ゆき、どうでしたか?

バーバの演奏は^_^

 

と、ニコニコ感想を求めてきた時ですよ

ドン引きしたのはね。笑

 

弦の調律は私の担当で

祖母が練習してると

あまりに乱れる弦の音に

私の気が狂いそうになるので

「ちょっと貸してみー!」

といってチャッチャと調律しました。

私にとってちっとも難しくないそれは

祖母にとっては相当難儀だったよう。

メトロノームをかけてても

全く合わない。

合ってないことに気づかない。。。

音楽の素養は無い人でした笑

 

我が母は料理を作るのが大好きで

作ってる最中

大きなハリのある声で

高らかに歌っていましたが

祖母は料理のセンスもないし

歌を歌ったところを見たこともない。

 

山芋のとろろを作るときに

擦る動作だけが可憐で

よく見惚れていました。笑

 

昔は結婚すると仕事を辞めて

家の仕事や、家事をするのが通例でした。

女には学は要らないといって

女性の人権が軽んじられていた時代です。

 

いくら才女でも

家事の適応能力までは

比例しませんから

バーバも大変だったと思われます。

 

日の当たる縁側で

「みかんの花」の手遊びを教えてくれました。

そういうことも滅多にしない人です

飼っていた猫も可愛がってましたが

どことなく雑でした笑

 

さんざん人様の助けをもらい

随分生きながらえていましたが

さて、祖母の人生は

どうだったのでしょうか。。。。

 

今になって聞いてみたい気がします。

 

聞いたところで

聞こえないフリなのか

本当に聞こえなくて

「ゆき、なんですか?」

と、それだけ言って

またテレビを観てそうです。

 

生きる意味なんか考えなくても

ぼーっと暮らしてる人が

昔は大勢いました。

それをとやかく言われることもなかった。

随分のんびりしてましたね。

猫も自由に縄張りを拡大してましたし。

家の中だけで飼う家なんか

ありませんでしたから。

 

夜眠れないとか

ストレスがどーとか

あんまり聞かない時代でした。

子供は外で遊ぶもの

大人も外で何かしてました

外に人がたくさんいたんです。

今みたいに家の中で

過ごす時間なんて

本当に少なかったように思います。

 

人は自然と接することをしないと

心が病んでしまうのだそう。

自然は厳しいけれど

優しくもあるみたいです。

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アンサンブルムジーク浜松 コンサート

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日曜日は、こちらに出演していました〜

 

私はオーケストラの打楽器セクションと

マリンバソロを演奏

 

金管のメンバーに支えられ

楽しく終わりました〜^_^

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真面目に演奏できない💦というか

なんかお笑いの方向になっちゃうーー笑

 

お客様からも楽しかったーと

お声をかけていただきました。

 

またどこかでお会いできたら🩷

 


www.youtube.com

そのうち本番の演奏と差し替えます〜

富塚中打楽器5重奏のみなさん

アンサンブルコンテスト全国大会が

近づくにつれて

だんだん動きが出てきました。

 

まず、生徒たちは浜松市教育長へ

表敬訪問しました

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校内で壮行会を兼ねた

お披露目会が開かれました。

打楽器アンサンブルの他に

ポップスなどを披露し

日頃の活動を地域の皆様へご報告できました。

たくさんの方にご来場いただけたようです。

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そろそろ全国モードに入ります〜