yukiの打ハハ日記

浜松市在住 打楽器奏者 パーカッションアーティスト@中村友紀のブログ

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20160519090529 打楽器はじめの12ヶ月

私の祖母

私は高齢の方と、動物に

好かれる性格のようで

小さい頃祖父母に溺愛されていました。

祖父母の近所の

おじいちゃんおばあちゃんからも

可愛がられてアイドル的人気者でした。笑

 

何でもやりたがる好奇心旺盛なところが

可愛くもあり

危なっかしかったりしたからでしょうか。

 

ジジババの話もとても興味深かった。

 

聞き耳を立てて、よく話を聞いていました。

 

耳年増、だったと思います。

 

 

最近母方の祖母のことを

思い出すことが多くなりました。

13年ほど前に他界しました。

 

祖母は幼い頃に

父親を戦争で亡くしました。

昔はそういう家庭が

普通に存在していたはずです。

その後祖母の母親は再婚しました。

実父と継父は同じ苗字

そして、嫁ぎ先も同じ苗字。。。

(曽祖母が役場で印鑑を忘れたといって

 たまたまその役場の職員に

 同じ苗字の人から印鑑を借りた縁で

 結婚したそうです。)

(再婚した継父も、その後

戦争で亡くなりました。)

 

2回苗字が変わるチャンス?があったのに

またそんなにある苗字でもないのに

同じというレアな運命でした。

住まいをあちこち転々としたり

親が変わったりしたのですが

祖母にとってそれは

ネガティブな思い出ではないようでした。

性格も強く、芯がありまくる祖母でしたので

そんな小さなこと(!)には

気にも留めなかった!のかも笑

人に悩みを打ち明けるとか

そういうヘニョヘニョしたところが

ない人でした。

簡単にいうと、たぶん

可愛くない(大女だった見た目も含めて)

 

 

村一番の才女だった祖母は

見付女学校へ通いました。

 

その後どうしたのか知りませんが

結婚して三人子どもを産んで

孫として私と妹が生まれました。

 

大正生まれなのに身長が160cmを超す大女。

 

運動が得意で背面跳びの選手だったとか。

 

勉強もできて運動もできる

文武両道の女性だったとね。

私にそれが何故遺伝されなかったのでしょうか〜

 

言葉遣いも大変丁寧で

良いところのお嬢様(風)な雰囲気を

醸し出していました。

 

電話に出る時は

「はい!イソベでございます!」

「左様ですか。」

※サザエさんも、電話に出るとき

 サザエでございますって言いますね笑

 

私にも、もちろん敬語でした。

 

家では農業の手伝いをしていたと思います。

昔はみんなそうでした。

 

私が幼稚園へ通ってる頃に

大病を患いました。

入退院を繰り返し

それが落ち着いたのは

私が小学校高学年になった頃でした。

 

腕には点滴の傷跡がびっしり。

腕全部を埋め尽くすほど

ケロイドになってました。

 

大きくて鬼瓦みたいな風貌が

退院してきた頃には

ヨレヨレの、かが抜けた炭酸飲料みたいな

おばあちゃんになりました。

千と千尋に出てくる

荒地の魔女の魔法が解けた時みたいな?

 

1日中椅子に座ってテレビを観てました。

 

お勉強が出来たらしい祖母は

息子たちには勉強を強要したようですが

母にはそれがなく

孫の私なんぞは

息をしてれば良いぐらいな

関心のなさ?でした笑

 

「ゆき、元気ですか?」

 

とは聞くけど

勉強はどうですか?

なんて、一言も言われたことがない笑

 

たぶん大してできないと

期待してなかったのだろうと思われます。

 

丁寧な言葉で喋りますが

わがままでマイペースで強情な人なので

時々変なことになります。

 

訪問してくださったお客様に

「◯◯さん、お茶いりませんよね?」

と言ったりする。

 

そのお客様は

どこか旅行へ行ったからと

手土産を携えてるのにもかかわらず💦

 

おいおい!と慌てて

その場に居合わせた叔母と私で

お茶を淹れた記憶があります。

 

そんなに周りでアタアタしてても

祖母はニコニコとテレビを観ていました。

ボケていた、のかもね〜笑

 

しかしまぁ、それでも

祖母は悪びれる様子もなく

いつでも王女さまのようでした。

 

孫の私でもドン引くほどの

マイペースぶり。

私が引いていても、祖母はニコニコしてました。

 

大正琴を習っていました。

「近所の人とはやりません

   私1人で演奏します」

といって

村祭りで1人演奏してましたが。

 

ゆき、どうでしたか?

バーバの演奏は^_^

 

と、ニコニコ感想を求めてきた時ですよ

ドン引きしたのはね。笑

 

弦の調律は私の担当で

祖母が練習してると

あまりに乱れる弦の音に

私の気が狂いそうになるので

「ちょっと貸してみー!」

といってチャッチャと調律しました。

私にとってちっとも難しくないそれは

祖母にとっては相当難儀だったよう。

メトロノームをかけてても

全く合わない。

合ってないことに気づかない。。。

音楽の素養は無い人でした笑

 

我が母は料理を作るのが大好きで

作ってる最中

大きなハリのある声で

高らかに歌っていましたが

祖母は料理のセンスもないし

歌を歌ったところを見たこともない。

 

山芋のとろろを作るときに

擦る動作だけが可憐で

よく見惚れていました。笑

 

昔は結婚すると仕事を辞めて

家の仕事や、家事をするのが通例でした。

女には学は要らないといって

女性の人権が軽んじられていた時代です。

 

いくら才女でも

家事の適応能力までは

比例しませんから

バーバも大変だったと思われます。

 

日の当たる縁側で

「みかんの花」の手遊びを教えてくれました。

そういうことも滅多にしない人です

飼っていた猫も可愛がってましたが

どことなく雑でした笑

 

さんざん人様の助けをもらい

随分生きながらえていましたが

さて、祖母の人生は

どうだったのでしょうか。。。。

 

今になって聞いてみたい気がします。

 

聞いたところで

聞こえないフリなのか

本当に聞こえなくて

「ゆき、なんですか?」

と、それだけ言って

またテレビを観てそうです。

 

生きる意味なんか考えなくても

ぼーっと暮らしてる人が

昔は大勢いました。

それをとやかく言われることもなかった。

随分のんびりしてましたね。

猫も自由に縄張りを拡大してましたし。

家の中だけで飼う家なんか

ありませんでしたから。

 

夜眠れないとか

ストレスがどーとか

あんまり聞かない時代でした。

子供は外で遊ぶもの

大人も外で何かしてました

外に人がたくさんいたんです。

今みたいに家の中で

過ごす時間なんて

本当に少なかったように思います。

 

人は自然と接することをしないと

心が病んでしまうのだそう。

自然は厳しいけれど

優しくもあるみたいです。

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