3/28〜30、長崎市、行ってきましたよ〜
朝早くから新幹線に乗り、陸路で入りました。7時間かかりました。軽い本なら読めちゃうだろうなぁ〜と思って、西加奈子の「円卓」を読みましたが、思ったほどパンチがなくて、その日の私としては不発に終わりました。かといって、持ってはいましたけど永井隆教授の「長崎の鐘」とか読む気にはなりませんでしたので。
さて、初日は活水高校の練習に立ち会わせていただきました。
1、2年生だけでも100名弱の、大所帯です。たくさん本番があるので、次の日に行われるコンサートの曲だけでなく、たっくさんたっくさん曲目をこなしていました。演出の踊りも上手、マーチングで鍛えられているステージショー慣れしている感じがありました。
巨匠@藤重佳久先生、とにかく元気です。30日に保育園で演奏する「ブンバボン!」。活水では、曲を練習する前に曲名を大きな声で言うっていうのがあるらしく、先生が「ブンバボン!」っていうと、生徒が「ブンバボン!」って返すわけです。63歳、ブンバボン!、いいんじゃないでしょうかwww。アルパカパカパカちょっとオカピ〜です。
29日に浜松聖星高校とノコギリで共演することになっていて、そのノコギリを持参していました。
「あ!中村先生はね〜打楽器奏者だけど、なんでもやられる方でね〜。ね、先生ノコギリ弾いてください!ぜひ!」
とあのテンションで仰るわけでして、それがこれ。
撮影はなんと!藤重佳久先生。気絶して倒れそうにありがたいことで。。。
その後スタッフの方とご一緒しました。
先生の側近の三好さん、この日はちょっとお洒落なモノトーンな服装でしたので、あれ?テレビで観ていた感じと違うから違う方なのかと思っていました。29日のドリームブラスコンサートの時はビシッとスーツを着こなしていて、あ!!これ!昨日と同一人物とは思えない!!ぐらいの豹変ぶりでしたwww
もうひと方は橋本眞介さん。名古屋音楽大学でクラリネットの准教授を勤めていらっしゃいます。大変ダンディーな、いわゆるカッコいい雰囲気クールナイスガイなのです。藤重先生はとてもお好きのご様子で、ラブビームをたくさん送っておられました。
九州ということで、駆けつけビール飲んだ後は芋焼酎。銘柄とかさっぱり分かりませんが、クイクイ飲んで、すっかり酔いました。こじんまりとした和やかな会で、皆さんの人柄もよくて、楽しかったです。
さぁ、コンサート。会場は長崎ブリックホールというところ。
出演者だけでも1000人ぐらいいたのでしょうか、それを受け入れるだけの大きな器です。
長崎県の学校がたくさん出演しましたが、ゲストも豪華で、硬派な福工大城東高校、元元元気やらまいか!浜松聖星高校、パッキンパッキン決め決めな東海大学高輪台高校の3校。満貫全席、ビフテキ500g、これでもかこれでもかのコッテコテな会でした。その中で私は聖星高校の枠でちょいの間の演奏をさせていただきました。アイルランドの洗濯女はシロフォンソロ、隣では聖星のコトリちゃんが洗濯板を使って踊りながら演奏してくれました。コトリちゃん、練習初日こそ遠慮気味にしていましたが、当日は弾けてくれて、そして可愛かった)^o^(
浜松聖星高校の土屋先生とあたくし、楽屋にて。
3/27直前の初合わせ。聖星高校にて、エーストレーナー梨恵子さま、ノコギリかなりハマってたの写真。
長崎の先生方もとても元気な方が多くて、私のような芸人みたいな変態打楽器奏者のことも受け入れてくださり、いい土地だなぁ〜と嬉しくなりました。
この日は藤重先生の奥様もお見えになっていて、出演された先生方が盛り上がっている会へ合流しました。台湾以来ちょっとだけ久しぶり、だけどすっかり仲良しなので私は完全に甘えモードで、いい子いい子してもらえました〜。巨匠の奥さまも器がデカイぜ〜〜〜〜!!!
30日は主人の吹奏楽部定期演奏会があるので、朝早くから急いで帰りました。ですが、長崎へ着いてすぐブリックホールへ行き、帰る日まで観光らしいところは何処へも行っていませんでしたので、最後ぐらいは・・・。
長崎へ伺うにあたって、遠藤周作の「女の一生第一部 キクの場合」と、先ほども少し出ましたが「長崎の鐘」を読みました。ガイドブックを読んだりしてもあまり地理が頭に入らず、これは物語を読む方が早いな、と思ったからでした。「女の一生第一部」で出てくる地名が、現在のどの位置を指すのか、いまいち分かりませんでしたけど、金毘羅さんは現在もそのままありますので、あぁ〜これか〜と、ここで凧を揚げて街から見えるものなのかなぁ〜と思ったりしました。
さて、下の写真は爆心地。
この上空800mぐらいのところで爆発したんでしたかな、、、、「長崎の鐘」では、生々しく当時の様子が克明に綴られています。人の話を聞くより、文章で読む方がすごく印象が深くなる。今の私たちはそれから数日して戦争が終わることを知っていますが、当時はその爆弾が原子爆弾ということも分からないし、戦争がいつまで続くのかも分からない。爆弾が投下された後に、上空から米軍が撒いたビラがあって、日本人の私からすると屈辱的な文章なのですが、冷静な文とも捉えられるわけで、永井教授はそのビラを何回も繰り返して読んだとあります。回数を重ねるごとに受ける印象の変容の描写が、見事だと思いました。
平和祈念像。18年前の伺っているはずのこと地、地理的なことすっかり忘れていました。いろいろな書籍を読み込むとこの像の意味合いというか、平和に対する願いを重く感じます。
この日は桜がとても綺麗だった。桜のうすピンクの洪水と、ほのかに香るやわらかい風が、大変心地よく、こんな日が未来永劫続きますように、と願わずにはいられませんでした。
そう、長崎は江戸時代から時代に翻弄された街。様々な文化を柳のようにしなやかに受け入れ、順応してきました。順応したと思ったらまた翻弄される、これを400年間繰り返してきました。その極め付けがこの原子爆弾なわけで・・・。歴史に翻弄されながら時代を重ねていく中で、人々は明るく、たおやかな順応性があり、心のあたたかさを生み出したのか。素敵な街です。
ここから長崎駅まで急いで帰らないと、浜松での司会の仕事に間に合わん!!!
エイ!と飛び乗ったのが路面電車。
運賃の払い方とか、運賃そのものもよく分からない、果たして本当に長崎駅へ向かってくれるかも分からない、けど乗っちゃった。好奇心に負けたというか〜。となりにいらした子連れのママちゃんに恐る恐る聞きました、「これって長崎駅へ行きますか?」・・・・無事に到着できて何よりでした。
8:46長崎駅発の特急に乗って帰りました。聖星高校にいる、開成中卒業生5名とともに、いざ浜松へ!高校三年生もいるから私は着いて行く気満々だったのですが、乗り換えで意外とアタフタしてるじゃないですか!ちょっとちょっと!!!私みたいな頼りない人でも、やはりいた方が良かったのでした。聖星っこ、しっかりしぃ〜や!
だいぶ長くなりましたけど、長崎日記でした。