yukiの打ハハ日記

浜松市在住 打楽器奏者 パーカッションアーティスト@中村友紀のブログ

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20160519090529 打楽器はじめの12ヶ月

今できることを考える

Nクラの初合わせが始まった昨日、

浜松市の有志の中高生が集まる

ユース吹奏楽団の練習もありました。

 

指導者として名を連ねる中に

太田先生もいらっしゃる。

浜名高校を東海常連校にまで、のし上げた

音楽の先生です。

私は25年ほど前にお会いしてますが

その時は磐田北高の先生でした。

国立音大のトランペット専攻を

ご卒業され、

静岡県警の音楽隊を経て

高校の先生になったようです。

 

私と出会った時は

たかもち先生、30代半ばで

キリキリと精悍な雰囲気でした。

 

浜名高校へ赴任されてから

自転車通勤をするようになり

ずいぶんスッキリとした、

イケオジ!

になりました。

2年前に定年退職され、

現在はいろんな学校でご指導されています。

 

さて、そんな太田先生が

嘆くわけですね。

これは、近くにいる人なら誰もがご存知の。

 

私はしかし、

 

浜名で指導力を発揮されるようになってから

吹奏楽にこの人あり!になったし

今はいろんな学校へ行って

自分の遺伝子の種まきが出来てるし

狭い視野から広がったと考えたら

今の環境は、大変幸せなことなんじゃないですか?

 

と、話しをしました。

 

太田先生は極めて真面目なんですよね。

カッチカチの人です。

 

タラレバ、を考えると

ぐるぐる🌀巡って

あの時こーしたら

あーしたらもっと!

こんなはずでは!

と思ったり

 

時々心乱れて

周りがびっくりするほど

精神が錯乱して

場を引っ掻き回すことだってあります。

それはどんな人でも

魔が刺したとしか言いようのない

 

殿、ご乱心❤️

 

この人の大事な局面で

それが現れる。

 

そんな時、まともに怒る人って

そんなにたくさんいないように思う。

あーあー、なんか大変だね〜

どうしたんだろうねー?

そのうちおさまるよねー

と、時間が経つのを待つのでは

ないでしょうか?

 

自分もそうして周りから静観されて

救われた経験があるからでしょう。

 

太田先生へは、こうもお話ししました。

 

今この環境下で出来ることを考えて

今の恵まれてるところをクローズアップして

 

あーなんで私はついてるんだろー!

 

と思うしかないですよねー

後ろを振り返って恨んでも

過去は戻りませんからねー。

 

運は人が連れて来ますから

人を喜ばせることで

いい運を運んでくれると思いますよ。

人が幸せだと思うには

温かな人間関係が作れているか?が

あるそうですよ?

私は仕事ばかりして来たから疲れちゃって💦

昔の友達に会って

ワチャワチャお話ししたりは

若い頃に気持ちが戻れるから助かるんですよ。

仕事と関係ない友達と

気持ちをフラットにして付き合えるのは

とてもありがたいし

必要だと思います。

 

第一線で活動できるのは

やはり60までですから

一点集中して集中して仕事をするのは

おそらくそこまでで、

給料も激減しますし

否が応でも現役ではないことを

知らしめられるわけですよね?

そうなった時に、

自分の目標設定をどこにするか?

どこを自分の満足とするか?は

結構大事だと思うんです。

あまり無理な設定では

理想と現実とのギャップで

心が壊れますから。

私も仕事で悔しい思いをたくさんして来ました。

なんで私ばかり

こんな目に遭わないといけないんだ!と

歯軋りもしました。

でも食いしばってばかりいたら

歯がボロボロになってしまう。

無理をしてる時点で

目標の方向性が違うんですよ。

自分を幸せに出来ていない。

 

まず、自分を喜ばせたら

目の前にいる人もニコニコしてくれて

それが広がったら

そんな幸せなことはないじゃないですか?

 

私はガチガチ指導することをやめました。

それは主人も。

修学舎の生徒がすごく明るくて

雰囲気がガラッと変わったと

皆さんおっしゃいますが

それは主人の指導法を

与進中の時からずいぶん変えたからです。

 

練習で求められることは高くて厳しいけど

周りの友達が自分を支えてくれて

出来なかったことが、出来るようになると

みんなが褒めてくれる!

もっと褒められたいし

温かな雰囲気が楽しいから

がんばろう!と思えるようです。

 

指導法を変えてから

成績もまた、演奏のクオリティも

飛び級で跳ね上がりました。

 

 

 

 

太田先生は、深く納得されるように

私の話を聞いてました。

 

太田先生から私が感謝されるのは

浜名高校が夏の大会、

県大会で終わった時のこと。

今から10年ぐらい前ですかねー?

 

前投稿で登場した

藤重先生のオハコである、

ルイブルジョアの讃美歌による変奏曲に

浜名高校がチャレンジした時のこと。

東海へ出て

全国にも手をかけたい

太田先生としては、渾身の一撃として

満を辞して臨んだ曲でした。

それが東海へ行かなくて終わったのです。

コンクール直後舞台裏では

錯乱した太田先生がいらっしゃいました。

周りのみんなは、

なんで声をかけたらいいか

みんな黙って見守るしかありませんでした。

 

なんで?なんで?

 

太田先生は

かなりその言葉を連呼されてました。

 

そんな中、

私が出来ることは何かなー

 

私は、高校から吹奏楽を始めましたから

母校、浜名は恩人的存在。

ここがなかったら私はないので。

 

がんばった卒業生へ

先輩から、うなぎパイ!

 

成績はともあれ、

みんなが一丸となってがんばったことは

事実なのだから

自分を否定することなく

さらに精進してがんばれ!

そんなに後悔することはない!

がんばった自分を自分で褒めてあげよう❣️

 

そこから浜名は東海行きを

落としてはいないのでは?

 

 

 

 

敢えて厳しいことを言うと

 

結果は準備不足から起こるもの

 

 

そのレベルに達していません

ということ。

 

何が欠けているのか分析するとして

しかし、人を恨んでも

それによって自分に良い影響をもたらすことは

ありません。

汚れた気持ちが

自分に降りかかってくるだけです。

天に向かって吐いた唾が

自分の顔にかかってくるだけ。

 

人からどう審査されるのかを

ビクビクして媚びるより

自分の好きな音楽を

どう研ぎ澄ませるかを考えることに

集中するしか出来ないんです。

 

自分を信じて

自分の耳を信じて

戦いへ挑んで成績が出ないなら

また別の手を考えるしかない。

 

自分の好きなことって

莫大なエネルギーを生みます。

媚びて形だけ作る音楽なんか

チャチなものと分かるでしょう。

自分のたぎることって

そんなもんじゃねーんです。

 

人の心を震わせるんですね。

 

自分のそれを探すのって

果てしないし

不安だし

 

だけどそれを探すしかない。

芸人が売れる過程も

私はそれだと思います。

 

結局楽しむこと、に尽きる。

 

 

 

太田先生へ最後に

私の野望を話しました。

 

私にはやりたいことが、たくさんあるんです。

吹奏楽以外のこと

まず、遊びたいんですよね!

音楽の経験の有無に関わらず

みんなと楽しく過ごしたい。

 

そのために私が出来ること

 

60を過ぎてからのセカンドライフを

どう充実させるか、

そこは大問題なんですよ!

もうギチギチで仕事したくないんです。

 

私は今の仕事を60過ぎても

続けてるイメージがないんですよ。

次の仕事を探さないと。

 

経済的に主人に依存できるけれど

それは私の性格からして

嫌なんですよね。

必要とされる限り働きたいです。

社会へ貢献したい。

吹奏楽以外のもっと視野と活動範囲を広げて

いろんな人と関わっていきたいんですー

 

 

ゆきさんは、

バイタリティが凄まじいなー

とおっしゃるので

 

私は自分のやりたいことを

我慢しないでやるから

こうなっちゃうだけです〜

それをバイタリティというのでしょうか

私には全く自覚がない。

SNSの投稿が多いのは

私の気分転換で

全く苦にならないんです。

気持ちを吐き出すのに

ちょうどいいんですよねSNSは。

家事と仕事の合間に

チョロっと書いたりが

私には良いバランスです。

自分が友達と会いたいから

飲み会の幹事をやらざるを得ないし

山へ登りたいから

人から誘われるのを待たずに

自分で行くしかないんです。

待ってても誰も誘ってくれなかったんで

待つのをやめたんですね。

 

でもお友達が欲しいんですよねー笑

ついついピリピリしちゃうから。

そこが悩みですーーー

 

 

 

話にオチがないんですが💦

 

私が今できること…

 

やりたいことたくさんあるのに

自分が思ってるより広がらない

なんで動きがないんだろー

 

って思ってます。

 

まだ足りないのー?

って言われるけど

私は不満なのね。笑