子育てでかなり苦しみました。なんでこーなっちゃうんだろう、なんで私だけ?みんなが幸せそうに見えた。何か間違ったことしたのかなー?そうならないように気をつけて、生活してたはずなのに…。
本屋さんや、図書館へ行って、たくさんの心理学に関する本を読みました。何人かの話を聞きました。カウンセリングもたくさん受けた。
そのたくさんの本には、自分で決めることの大事さが、やたら書かれていました。
自分で決断する。
それは子供であってもです。親が決めるんじゃない、させるんじゃない。
子供自身が決めること。
そして、目標を達成するには、ワクワクする脳みそが必要なんだと。ワクワクすると、工夫したくなる。人を喜ばせたくなる発想力って、ものすごく広がりがあり、エネルギーの量がすごい。苦手なものを克服する、先生から怒られないように頑張ることって、限界があるんだと、知りました。
人の心を変えさせることの、おこがましさも。それは自分の子供であっても。自分が変わることで、人は影響されるかもしれないが、人は変わらない。人を変えようとすることは、傲慢なことだと。
私は指導で、怒るのをやめました。
怒ることは、非効率だと
分かったからです。
生徒が自分で工夫して
実験して失敗することを
見守るだけで成長することを知ったから。
教える必要がない。
教え込むことをやめて、
個性を引き出すには、どうしたらいいか?を考えることにしました。
考えることに慣れてない現代の子供たちからすると、最初はきついことのようです。正解を教えてもらいたがる。正解なんて、正直ないんです。その人のタギリが、ある意味正解。それを出すために、指導する側として知恵を絞る必要があります。
「私はあなたの意見を否定せずに
受け入れます。
あなたの考えたこと、やろうとしてることに、興味を持って、見守る責任を負います。あなたが安心して、考える旅へ出かけられるように。」
面白がる、余裕は必要に思います。子供のやること、怒れることはたくさんありますが、子供と自分は別人格です。私とは価値観が違う。子供がやることは、何か考えがある場合もありますから、なんでそんなことやるの?と大人が思うことも、本人にしたら大真面目なのかもしれない。
人の心は永遠にわかりません。
心の色というのは、演奏してると
ふわっと見えるものです。
少なくとも私には、見えます。
その人の考えた色彩は
そのまま音として観客に伝わるらしいです。
指導した学校の打楽器演奏から
色を感じていただける方が
けっこういらっしゃるんですよね。
私の演奏も然り。
どういう子供に育てたいのか?
私という媒体を通して
わたしが!若い子供たちに伝えたいこと。
熱いタギリを、
その子の持つ個性を
どうやって具現化するか。
この世の中から突きつけられた
部活に対する時間制限。
どの時代が来ても
受け入れて工夫すること。
効率的な方法で。