1945.8.15.日本は第二次世界大戦の敗戦を受け入れ、降伏宣言をしました。
もし、今戦争が起きたら、私は生き残れるだろうか。もし生き残るとしたらどういう方法があるんだろう。流れる情報を客観的に判断するために、どういう考えを身につけるべきか。
おそらく、考えなかった人は、いないだろうと思います。
殺人だって人の命を奪うことは罰せられます。が、戦争になると、大量に殺人を犯すにも関わらず、英雄になります。どんなことがあっても、人の命を奪うことは、あってはならない。
先日NHKのドキュメンタリーで、ヒトラー関係の三つの番組が再放送されました。ヒトラーの指示で幼くして兵隊の訓練をし、青年になって実際戦地へ赴いたユーゲントなる人たちがいました。その兵士たちは、最初こそゲーム感覚で楽しかったと。実際戦争は参加して、戦局が怪しくなってから辛くなって来て、身近な仲間が次々と亡くなっていった時に、自分のやってることがどんなに酷いことか理解した、というようなことを述べていました。
身近な人
自分と、近い人に起こることに影響されて、人は生きてるんだなと思いました。そうでないところで起きることは、実はあまりピンと来ないもの、なのかもしれません。
戦争を始めるキッカケを作るのは、政治家です。これまでの歴史で幾度となく戦争があり、戦争じゃなくても人の命が犠牲になることで、やっと改革されたことばかりです。昔人の苦労に、感謝しかありません。自分の命が誰も大事なように、人の命も、同じように大事だということです。他の誰か、と思ってる人の周りの人間は、その誰かさんのおかげで楽しく生きられているものです。それを上だの下だので順位をつけられるものではありません。
哀れな惨事を映像で流すことで、戦争をやろうとしている人に戒めを、二度とこのようなことを起こしませんように、と確かめるのが、日本においての8/15.です。
私の世代around50は、祖父が戦地へ赴いて、幸にして生き延び、やがて私たちが生まれました。祖父から戦争の惨事を聞くことがあったはずです。私の祖父は戦争の話をよくしてくれる方でした。あまりお話が得意ではない祖父が、唯一目を輝かせながら話をするのが、戦争のこと。自分の20代全てを兵隊として過ごした、青春時代そのもの、です。ラバウルへ向かう船の中でいろんな技術を学び、命の危機を乗り越えながら、戦地を生きながらえた祖父の話は、昨日のことのように思い出されます。
一番生々しかったのは、祖父の脇を掠めたピストルの球を、ペンダントにして持ち帰って来た話。それを見せてもらいました。自分の命を脅かしたピストルの球を、ブローチにして持ち帰るとは…今の私の生活からそんなことできる肝っ玉はありませんが、それを聞いた当時小学生だった私もギョッとしたものです。この強靭な精神、肉体を持って生きているおじいちゃんの孫だから私もきっと強いのだろう、と思うことにした。よりすぐりの遺伝子に違いないのですからねー…。
そのペンダントは、どこへ行ったんだろ。もしあるなら、私の宝物にしたいなと、最近は思いますが。
身近な人で起こることしか
本当に身に染みて感じることができない。
もっというと、
そのくらい狭い範囲で生きている。
さらにいうと
情報にあふれた現代は、
脳の飽和を招いている。
本当なら健やかに生きるための情報は
そんなに要らない
のかも。