yukiの打ハハ日記

浜松市在住 打楽器奏者 パーカッションアーティスト@中村友紀のブログ

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20160519090529 打楽器はじめの12ヶ月

沼津へ行きましたー

高校一年の時の部活の顧問は

沼津出身の方でした。

今も現役で高校教師をしています。

そろそろご退職かな。

 

高校を卒業した後に

吹奏楽部のOBバンドが発足されました。

 

卒業してから赴任された杉山先生が

 

「おい、定期演奏会だってーのに

 なんで俺はやることがねーんだよ。」

と言ったことから端を発しているようです。

つまり卒業生発信ではなく

浜名という学校が

どんな学校なんだ?という

先生の好奇心から始まった、ようなのです。

 

それはバルドン楽器の加納さんから聞いた話。

加納さんは浜名高校吹奏楽部の

3つ上の先輩です。

当時すでにバルドン楽器にお勤めでした。

浜名高校吹奏楽部は加納さんの担当でしたので

そんな話を杉山先生から聞いたのでしょう。

 

当時の浜名高校は

今のように強豪校でも何でもなく

そこそこ頑張ってる大編成のバンドでした。

私の時は毎年顧問が変わりました。

一年生の時の顧問は吉川浩資先生。

その後私を江之島高校へ推薦してくれた人です。

若くして赴任されたようですが

当時から老けていたので、

若さは感じませんでした笑

 

不安定な部活の内情でしたが

生徒主体の活動に

不満をいう者は、少なくとも

我々の学年にはなかったと…

思っています。。。。

私は幹部ではなかったので

詳しいことは分かりませんが

楽しくて仕方ない高校生活でした。

 

生徒主体から顧問へ采配?が移行したのが

杉山先生かなと。

 

生徒主体では部活の向上に

限界があったことは確かで

パート講師に技術の向上を協力してもらいながら

顧問が采配を振るう、

今のような体制を築き始めた

あたりだったと思います。

 

頼りない顧問から

ザ・顧問!みたいな人が

いきなり赴任してきました。

 

私はすでに音大生でしたので

お気楽にOBバンドに関わっていました。

参加するメンバーに同級生もたくさんいて

完全に同窓会だったし

秋から半年練習するOBバンドの練習も

楽しみでした。

初回のOBバンドの曲が

カルミナ・ブラーナだったのも良かったかも^_^

ちょうど大学で取り組んでいたこともあるし

カルミナ・ブラーナはその当時ブームだったので

OBバンドに限らず演奏する機会がありました。

 

なぜカルミナになったのかは

きっと当時取り仕切りをやっていた

白井先輩あたりが決めたのではないかな。

 

音大生の私に杉山先生が興味がないわけがない。

練習の度に話をしたのかな、

すごく熱い人で

私も普通に先生として

受け入れるようになりました。

大学になりたての若造なので

半分高校生みたいなものでしたしね。

 

「お前、月曜日に部活に来れないのか?」

と言われました。

打楽器の指導に来いという意味。

吹奏楽の合奏授業が月曜日だったので

それは難しい💦とお断りをして

結局ずっと果たせませんでした。

 

それに指導には全く自信がありませんでした。

 

自分のことしか考えていませんでしたので

後輩へのアドバイスを

どうしたらいいのか

皆目見当がつかなかった。

人のことなんかどーでもいいし

感覚の鈍い

下手な奴の面倒をみるのはごめんでした笑

手厳しくてストイックだった当時は

部活に顔を出しても説教して終わるしね

ウザすぎる先輩でしたので💦

ドライで優しくないオーラを

バンバン出していたと思われます💦

 

教育実習は大学四年の時にありました。

9月だったと思います。

大学では遊び呆ける怠惰な生活でしたので

教育実習は恐怖でした。

朝起きられるかなー

規則正しい時間での生活が

あまりに久しぶりすぎるので

朝早い生活に戸惑っていました。

疲れすぎて生理が止まるほど笑💦

この時間厳守な生活は私には無理だーと

自覚した瞬間でもありました。

 

 

にもかかわらず!!!!!!

 

先生は私を高校教師にしたくて

そこから猛烈なラブコールがスタートします。

 

飲み会のたびに

「ゆき!ここへ来い!」

といって私を隣に座らせる…。

 

「お前、せんこーになる気はないのか?

 お前がなるなら俺は推薦するから!」

 

えーーーー???

私は生理が止まるほど体調が悪かったから

就職は考えられないとは言えませんでした。

なんとなく、向いてないと思いました。

選択だから音楽好きじゃない生徒にも

教える自信がとにかくなかったこと

子ども好きじゃないこと^_^

サラリーマンが無理だろうなのこと

今だからちゃんと理由が言えますが

当時は全部何となくでしかなかったので

 

無碍もなく断ります。

 

えーーーーーー????

の一言だけ笑

 

当然杉山先生は納得するわけない

 

OBバンドの練習のたびかなー

何度も説得されました。

 

俺がお前を推薦するから

高校教師になる気はないのか?

 

 

何でそんなに口説いたんだろー

何がヒットしたんだろ?

 

私は杉山先生のラブコールを

3回振りました笑

最後は、うっせーなー

(adoのヒット曲ですね笑💦)

と言ったんじゃないかなー笑

めちゃ怒られましたね笑

 

人に強要されるのは

でーきらいなので笑

そんなに口説かれても変わらんのね笑

やなもんは、やなの!ってことで

 

先生に直接教えてもらったわけでもない人で

浜名の卒業生で杉山先生と繋がってる人は

片手ぐらいは居たはずで

私もその中の1人だったのでしょう。

次に赴任された県の教育委員会

県庁の知事室時代

県民オペラで先生と関わりましたので

何かと繋がりはあり

気にかけていただいたようです。

 

そんなこんなで

杉山先生にはお世話になったので

亡くなったと聞いた時は

呆然としました。

 

気持ちを共有しないと

いられない気持ちになりました。

杉山先生について喋りたい。

奥様とどうやって繋がったんだろう

わかりませんが電話で

お話を聞くようになりました。

 

生前、先生から何度となく

惚気話は聞いていました、

私の両親は不仲で

子供の頃から振り回されて育った私

1人で生きていかないとと

自立を早くしないといけなかった。

中学3年の時にその覚悟を決めました。

 

できる限りは自分でやろー…

 

そして不良とまでは言わなくても

心は荒んでいきました。

勉強なんか、やるわけない。

 

夫婦なんか仲良いわけがない、と。

ほとんどが仮面夫婦なのだと

信じて疑わなかった私は

先生の惚気話にムカついていました。

 

「そんなこと言っても

 今は仲良しかもしれませんが

 今後どーなるか、わかりませんよ?」

と言った記憶があります。

 

先生はしばらく沈黙して

「…   おー、そーか?^_^」

と、私の話を受け入れました。

 

お?! 受け入れたー!と思って。

ちょいとびっくりしましたが

でも知的な先生のことだから

そういう斜めからの発言も

きっと受け入れてくださるだろうと

甘えていたのかもしれません。

 

 

この前、奥様と話をして

 

杉山先生から惚気話をたくさん聞いて

ムカついてました

 

と話をしたら

 

「私も大好きなのよ!」

と、いまもしている

結婚指輪を見せられました。

 

どなたか恋愛したいとは思わないですか?

 

と聞きました。

まぁそれは愚問中の愚問と分かりながら

話をしましたが

 

「うーん、私も主人を大好きだったから

 話をずっとしてたし

 いつもイチャイチャしてたし

 あの人以上じゃないと嫌なので

 ってなると、無理なのよね?」

という当然すぎる

想定内のお返事が返ってきました。

 

そーでしょうね

幾度となく私でさえも

惚気話は聞いてますしね💦

 

だからこそ早死には罪です。ほんと。

 

その後の奥様の苦悩は

なんで?っていうほど大変なのですが

百歩譲って、人生プラマイゼロに

なるようになってるというなら

その前の結婚生活がずっと

バラ色だったのでしょうねーー

そぅ、ずっとね。

 

それはそれで

大層羨ましいのでありますが。

 

奥様からの現状の愚痴が

ひと通り終わったところで

今現在お勤めの会社の様子をお聞きしたり

昔の惚気話になったりして

かなり長居しました。

楽しい時間でありました。

 

たくさんたくさんお話を聞いて

いろんな人生があるんだなという学び。

 

いくら気をつけていても

避けられない災難は来るし

どうしようもないのだ…を学びました。

 

起こることを、受け入れていくしかない。

 

奥様に降りかかった災難を

天国から杉山先生はきっと

不憫に思うに違いありません。

 

今でさえも俺が居たらなー

俺が居なくでごめんよーと

心の底から思っていることでしょう。

 

しかしさ

先生が亡くなったからこそ

私は奥様と繋がれたのよね?

ご縁って異なもの、味なものなのかね。

 

幸せに生きるには

どうしたらいいのか?

 

幸せって何だっけね

 

 

 

この前、指名手配犯が

最後は本名で死にたいと言いましたね

 

人生をかけた鬼ごっこを逃げ切ったことは

幸せではないと、ね。

 

スリル満点な生活に

すぐ反省したことでしょうよ。

 

いろんな生き方がありまさーね。

 

あの時間は感慨深いのですが

 

 

 

奥様にとって私は

お話ししやすい人らしいので

年一の定例にしようかと。

沼津へまた伺おうかと、ね。

 

これもあれですか

杉山先生の操作ですか?

 

「ゆき、お前さー

 うちの奥さんとたまには会ってよー

 話聞いてやってくれや。

 俺がいりゃいいんだけど

 いんもんでさ、

 奥さんも寂しがるから

 頼むでな!」

 

 

あー言ってそー言ってそー笑💦

 

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↑奥様の自宅から富士山を望む