yukiの打ハハ日記

浜松市在住 打楽器奏者 パーカッションアーティスト@中村友紀のブログ

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20160519090529 打楽器はじめの12ヶ月

浜商吹奏楽部についての昔話

先日掛川北中へ伺った際
レッスンが図書館でしたが
ふと目に止まった本がありました。

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浜商野球部の歴史…
親戚の修三おじさんが
甲子園で優勝したところが
一番賑々しく書かれていました。

 

浜商は昔から吹奏楽も有名でした。
遠山先生が赴く
もっとずっと前からだそうな。

 

私はその名門校へ
2002年〜2007年
打楽器指導に伺っていました。


なりふり構わず

私が指導に燃えまくっていた時代です。

娘を出産するまでの5年間という
今思えば短い関わりでしたが
当時一番思い出深い。
私が出入りしていた時代は
男の子でやる気がある中学生の
入部できる学校がなく
熱く吹奏楽をしたくて
入るのでありました。


勉強なんかどーでもいい!笑

俺、私は、部活と心中するんだ!


といって入るのが浜商です笑💦


私が伺っていた当時
今と違って部員が100名近くいて
打楽器だけでも20名近くおり
3年生になっても
コンクールに乗れなかった生徒も
いたほどでした。

 

 

 

その時の教え子が
昨日の修学舎の
マーチング練習の指導者として来ていました。
私を見るなり遠くからでも
視線が硬直するのが分かりました。

 

「ゆき先生、
 僕が娘さんを指導するのは
 ほんと、やりづらいっす!」
と、春に会った開口一番そう言われました。

 

いやいや、石井先生
ご指導よろしくお願いします🤲笑

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昨日の練習後、
浜商の話で盛り上がりました。
先日浜松市立高校へ行った際も
実はその話で盛り上がったばかりでした。
市立高校の音楽科教諭@辻村映里先生が
浜商吹奏楽部 のご出身だからです。
辻村先生は武闘派な
ご指導で知られていますが
そのルーツは浜商にあるようです。


浜商ご出身の方は母校愛に溢れた方が
たくさんいらっしゃいます。

 

「合奏がてっぺんを超えたことがありました。」
と辻村先生。


辻村先生の時は遠山先生ではなく
田澤先生でしたが
それでも熱血に活動されてたんですね💦

 

「違うよ!タティ〜タティ〜なんだよ!」
という不明な伝え方は(田澤先生ごめんよ笑)
現在浜松西高校でも顕在。

 

タティーは何故かいつも
クラリネットであり笑
そしてどんなフレーズも
タ行(田澤、だからですかね爆笑)
意味はわからないですけど笑
先生からは愛があるのは十分伝わっており
生徒もある意味このタティーを
レクリエーションの一つと捉えて
楽しんでいた風もあるとか無いとか…

 

辻村先生と石井くんとは
浜商語の「本日は〜」についての
話になりました。

 

「あれはテンプレートがあるんですよ。」
間違えると先輩から怒られるから
言わないといけないし
他の人から変だと笑われたり
他の教科の先生から
本日部とおちょくられたり
していたらしいのですが
治せないのだそうで笑

丁寧すぎて?
慇懃無礼(いんぎんぶれい)とは言いませんが
よそ者の私からすると
なんか変な印象なんです。

 

田澤先生から繰り出される
合奏中のタティーが始まると
1hは(タ)ティータイムになります。

決まってクラリネットの手つきで
タティーをお歌いになる姿は
教え子の伝統芸なんだそうで
ほぼ皆さん完コピできるのだそう。

 

 

先日主人が修学舎の後援会の方と
一席を交えましたが
その隣で宴会をしていたのが
浜商吹奏楽部後援会だったようです。
昔部員だった生徒の親の会

浜商は生徒だけでなく
保護者の交流も盛んです。
それは卒業しても永遠に続くようですね。

石井くんの親もまた
保護者同士での飲み会へ
卒業して20年ほど経つ今でも
出かけるのだそうです。

 

ちなみに、石井くんを含む生徒同士の
同窓会などはないそうで
どこで何してるのかは
感知していないとのことです笑